当社が製造・販売・研究開発しているテフロン™や、冷媒・特殊溶剤などのフッ素化学品の開発の源流は、20世紀初頭にまで遡ることができます。
そもそも自然界では基本的に単体のフッ素は存在しえず、フッ素化合物が岩石(蛍石)を構成する成分の一部として存在しています。18世紀後半には、これらの岩石(蛍石)を化学反応させると未知の酸性物質が生成されることが明らかになり、そのなかの塩素に似た物質が「フッ素(fluorine)」と呼ばれるようになります。このとき生成された酸性物質は、現代の法律でも毒物に指定されている「フッ化水素(分子式HF)」です。
それ以来、幾人もの化学者がフッ化水素からフッ素を単離することを試みましたが、長い間成功には至りませんでした。理由は、フッ化水素の扱いの難しさと、単体のフッ素の反応性の高さにあります。単離されたフッ素が即座に反応して実験器具を破壊したり、人体に有害な影響を及ぼしたりすることもありました。
人類がフッ素を単体の物質として突き止めたのは、フッ化水素の発見から100年以上も経った1886年のことです。その間に化学的な知見が蓄積され、技術が発展したことが成功の要因で、フッ素の単離をきっかけに、フッ素化合物の産業応用が本格化していきます。フッ素を単離したフランス人化学者のアンリ・モアッサン(1852 - 1907)は、功績が讃えられ1906年にノーベル化学賞を受賞しました。
フッ素化合物のなかで最初に産業利用が進んだのは、塩素(クロロ)とフッ素(フルオロ)、炭素(カーボン)からなる「クロロフルオロカーボン(CFC)」、日本で通称「フロン」と呼ばれる物質です。1928年に革新的な冷媒として開発され、1930年代前半には米国デュポン社の工場で工業生産が開始されました。その商品名が「フレオン™」です。
フレオン™開発の背景として、1920年代の米国では、すでに自動車や家庭用電気冷蔵庫が普及し始めていた社会事情が挙げられます。当時の冷媒には人体に有害な亜硫酸ガスが使われており、安全で扱いやすい冷媒が強く求められていました。そのニーズにピタリと適合したのが、化学的に安定かつ人体に無害で、引火や爆発の危険性がないクロロフルオロカーボンです。そのため「夢の物質」と言われ、20世紀を通じて冷媒や発泡剤、洗浄剤やスプレーなどの用途で広く使われることになりました。
なお、「フロン」という名称は、フッ素(フルオロ)と炭素(カーボン)を含む化合物である「フルオロカーボン」を総称する日本独自の呼び名です(国際的には通用しません)。フルオロカーボンは、結合する物質によって大きく次の3種類に分けられます(それぞれごとに、結合様式などによって細かな分類があります)。
ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)やハイドロフルオロカーボン(HFC)は、日本では「代替フロン」とも呼ばれます。1980年代後半、フロンがオゾン層破壊の原因になっていることが科学的に突き止められ、その対策として開発された新たなフロンだからです。科学的な議論が決着をみると、デュポンはいち早くHFC冷媒の製造・販売に取り組み、当社もデュポンと密に連携してHFC冷媒の商業生産に切り替えました。
20世紀の終わりごろには、温暖化が地球規模の課題としてクローズアップされ、「代替フロン」の温暖化効果が問題視されるようになります。その流れを決定づけたのが、1997年に締結された京都議定書です。HFCが使用削減対象物質になり、デュポンは2005年の議定書発効に向けて「代替フロンの代替」の開発に取り組み始めます。
2011年、デュポンが米国ハネウェル社と共同で世界に先駆けて開発した新冷媒が、温暖化係数がHFCと比べて350分の1以下ときわめて低いハイドロフルオロオレフィン(HFO)です。それをいち早く、カーエアコン用の冷媒「オプテオン™-YF」並びに特殊溶剤「オプテオン™」として市場投入したのにとどまらず、HFOの溶剤や発泡剤など、環境負荷を大幅に低減可能な製品開発に積極的に取り組んでいます。また、フロン回収処理サービスを提供し、リサイクル推進にも力を入れています。
フッ素化学の夜明け前フッ素の発見
1771
カール・シェーレが蛍石から未知の酸性物質(フッ化水素)が発生することを発見。
1886
アンリ・モアッサンがフッ素の単離に成功。この功績により1906年にノーベル賞を受賞。
フレオン™(フロン)の開発
1928前半
米国でフロン(クロロフルオロカーボン)が開発される
1930
米国DuPont がフロンをフレオン™の商標で販売開始